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教育理念 ~夢は貧しい子どもたちの「無料学習室」~

弊社代表が37歳の時に現代書林出版「子どもの危機110番」の本書に掲載された内容からの抜粋です。

中村信二 ㈱日本学術講師会・㈱ガクジュツ代表取締役

苦学の体験から 中村信二さんは家庭教師派遣会社と、受験問題集の出版会社を経営する社長さんです。
三十七歳という若手ですが、社長歴すでに十五年、学生時代に会社を興したベテラン社長でもあるのです。
この経歴にふさわしいヤリ手の事業家という雰囲気ですが、その中村さんから開口一番飛び出したのは、こんな意外な言葉でした。
「いまの教育はお金がかかりすぎます。 母子家庭など貧しい家の子供は、勉強したくてもできない。だから、そういう子供たちのための無料の学習塾を開きたい。私の十数年の夢であり、このNPOに加わったのもそれを実現したいからなんです。」
家庭教師派遣や受験問題集出版という仕事内容から考えれば、一見矛盾した言葉のようです。
しかし、「貧しい子供たちのために無料塾を開きたい」という中村さんの口調には確固たる意思と情熱がこもっており、志が伝わってきます。
その志のよってきたるところはどこなのか、中村さんの半生から探ってみたいと思います。
中村さんは福岡市生まれ、お父さんが学校教師で、お母さんが公務員といえば厳格な家庭が想像できますが、これがただの厳格ぶりではありませんでした。
父親は典型的な戦中派タイプの人物で、中村さんが大学進学を迎えたころ、東京か大阪の大学へ進むことを希望したのですが、「ダメだ。許さん」の一言、受験もさせてくれませんでした。
さらに、「九州大学以外はいっさいダメだ」、ほかの大学は大学じゃないという、超頑固な九州人の考えの持ち主だったのです。
東京か大阪の私立大学に進むつもりで、その勉強しかしていなかった中村さんに、国立の九州大学は無理で、地元の西南大学を受けることにしたのですが、それも父親に土下座して受験を許してもらい、受験料は自分の小遣いから払ったのです。
そして、晴れて合格しましたが、父親に「お前のことはもう知らん。学費も生活費も自分でやれ」と、勘当同然の言葉を投げられました。
十七、十八の多感な時期です。並みの青年なら大学はあきらめるか、捨て鉢な生き方に走っていたことでしょう。しかし、中村青年はあえて苦学の道を選びました。
そして、それがのちの事業につながっていくのですが、もちろん、そんなことは知るよしもなく、前途多難を覚悟のうえで苦学生としての生活に飛び込んだのです。
最初にやったのは、苦学生の仕事の定番ともいうべき新聞奨学生でした。
住み込みで新聞配達をしながら勉強しましたが、事前の条件と実際があまりにもかけ離れていたため、一年でやめてしまいました。
それで、つぎに何をやったかというと水商売、バーテンでした。
こういう道をたどる苦学生も少なくなく、たいていはズルズルと滑り落ちていきますが、もちろん、中村青年はそんなこともありませんでした。
ただ、実家の父親にとっては、まさに転落の道を歩んでいるように見えたのでしょう。
正月に酒を手土産にして、久し振りに実家に帰ったことがありました。
しかし、息子を見るなり、父親は「何をしに帰って来た。お前のことは、もう知らんと言ったはずだ」。さすがの中村青年もこの言葉にカッとし、酒瓶を叩き割って実家をあとにしました。
すさまじい父子関係ですが、そのなかで自分を鍛えていったのが中村さんです。
それに、どうもひどい父親という印象が残ってしまいそうなので先回りしますが、このお父さんともやがて心を許しあい現在、お父さんは中村さんの会社の役員も務めています。
さて、水商売に入った中村青年でしたが、やがて勤めていた店がつぶれてしまったのです。
これからどうやって学費や生活費を工面するか、思案に暮れた中村さんは、塾を開くことを思いつきました。
早速、生徒募集の張り紙をあちこちに貼りましたが、生徒はさっぱり集まりませんでした。
しかたなく家庭教師を派遣する会社を訪れたのですが、これが中村さんの将来を運命づけることになったのです。
会社から紹介され、家庭教師として担当した中学生は、いわゆる落ちこぼれでした。
「分数の掛け算や割り算もできない、アルファベットも読めないんです。学校では、先生もその子が授業を理解できないことが分かっていても、落ちこぼれのためにほかの生徒を犠牲にするわけにいかないので、放ったらかしにされている。
それで、よけい遅れていくうえ、塾でも受験戦争で少しでもいい成績をあげるには、そういう子ははじかれてしまうんですね。そういう事情を知って、よし、オレが面倒をみようと思ったわけです」教育の現状に対し青年らしい義憤を感じてのスタートでした。中村さんはとことんその子につきあい、懸命に教えました。熱意は伝わり、成績も上がっていきました。
そんな中村青年の姿勢が評判になり、「うちの子もお願いします」とつぎつぎに頼まれるようになったのです。
そのほとんどが落ちこぼれで、そういう子供がたくさんいることに改めて気づくと同時に、この子たちのために何かしてやりたいと考えたのです。  ちょうど大学四年のときで、卒業後の就職をどうするかという自分の問題も抱えていました。
いまの教育体制からはじかれている子たちを何とかしてやりたい、それを仕事にできないものかと考えた末、家庭教師派遣会社を設立することになったのです。
自分ひとりでは限界があるが、同じ考えの家庭教師をたくさん派遣すれば、それだけ落ちこぼれの子供たちを救える。そんな思いを抱いて、昭和六十一年、会社設立。
いまふうに言えば志あるベンチャー、その学生社長としての旗揚げでした。
勉強だけでなく人生の先輩  中村さんの会社は設立以後、ぐんぐん伸びていきました。当時、家庭教師派遣会社はまだ少なかったことも幸いしましたが、それより何より、「悩める落ちこぼれの子を救おう、どうしようもない子をどうにかしよう」という、中村さんの信念にもとづく会社の志の高さ、それが評価されたのでしょう。
 学校の授業にも塾にもついていけない子たちを教えるとき、たとえば、中学生で方程式が分からない子には、小学生で習った比例・反比例まで戻って教えてあげる、そういう分かるところまで戻るという方法で教えたのです。
たしかにそれは、学校でも塾でもしないし、できないことです。
家庭教師という一対一の教育、いわば教育の原点に立っているからこそ可能だったのでしょう。
 教育の原点といえば、中村さんは家庭教師には別の役割もあると語ります。
「勉強を教えるだけじゃなく、子供たちのいいお兄さん、いいお姉さん、人生の良き先輩であるべきですね。うちでは、成績のどうしようもない子や登校拒否の子も預かりますが、そういう子たちはたいてい友達も少なく、心を許して相談できる相手がいないんです。だから、家庭教師が悩みを聞いてあげる。これが大事なんですね。一対一で心が通じ合うようになると、親に直接言えないようなことも自分から話すようになりますよ。
不良だった子を立ち直らせたことはあっても、うちで教えた子で不良になった子供はゼロですね」
熱心な学校教師の場合と変わらない、文字通り教育の原点です。しかも教室ではなく、個々の家庭で行われるため、むしろ学校教師より子供に及ぼす影響は強いといえるかもしれません。
ただ、問題はそれができる家庭教師をどう選ぶかで、中村さんはそこに最も気配りしています。
「例えば一流大学の学生なら頭がいいから、教え方もいいと思う父兄が多いのですが、そうじゃないですね。頭の良さと教え方の良さは違うんです。まず、子供に対する熱心さ、子供をなんとかしてあげようという気持ち、これは必要です。だから、採用時には試験や適性検査はもちろん、どうして家庭教師をやりたいのかを聞きます。どんなに優秀な大学生でも、バイト気分や小遣い稼ぎというのは採用しません。それと、採用しても常に私たちのほうで教師を指導し、毎日、教育内容を報告させています」
 中村さんのそういう信念が教師たちにも伝わり、会社全体の飛躍にもつながったのでしょう。
現在、会社には福岡だけで三千人を超える家庭教師が登録されており、さらに昨年から、愛知県と広島県での活動も開始しました。
こうした家庭教師派遣会社の発展とは別に、やはりめざましく伸びたのが受験問題集の出版社です。
 出版しているのは高校受験用の問題集(高校入試『虎の巻』)なのですが、これが伸びた背景にはちょっと皮肉というか、ユニークないきさつがあるのです。八年前、中村さんは預かっている勉強のできない子たちのために独自の問題集を作成しました。内部用のこれをたまたま売ってみると、ものすごい売れ行きを示したのです。
「まず、福岡の公立高校の入試問題を十五年間にわたって調べたんです。たとえば英語なら、中学で千百単語ぐらい習いますが、実際に出題されるのは、たったプリント三ページ分だけなんですね。また、歴史の年代にしても学校ではたくさん詰め込まれますが、試験に出るのはプリント一枚だけですよ。れは入試のあり方もふくめて、いまの教育の歪みです。
高校受験も大学受験も本当の勉強とは違った、情報を知ったほうが勝ちというふうになっているんです。だから、塾や予備校では、その情報を徹底して教え込むわけです。私はそういう教育体制に対する反発がすごくあるんですが、一方で預かっている子供たちの親御さんたちは、なんとか子供をいい高校へ入れてくれ、落ちこぼれでも希望の学校へ入れるようにしてくれと願います。高校受験で挫折することは、その子の将来にものすごい影響を与えますから、こっちもなんとかしてあげたいと思うわけです。それで、本当の勉強ではないが、とにかく入試に勝たせてやろうと考えたのです」
 そこで中村さんがとった方法は、過去十年間の入試問題から、たとえば数学の関数なら関数ばかり、つまり単元ごとにまとめた問題集を作ることでした。
従来の問題集が年次別に網羅されていたのとくらべ、これは生徒の弱い部分を集中的に強化できますから、たしかに効果満点です。
内部用に作成したものが、売れに売れたのも当然でしょう。
先行していた数ある問題集を追い越し、またたくまに福岡でトップになり、さらに九州各県や大阪、神戸などの新聞社や放送局が取り扱い店となって、いまや十一府県にまで広がっています。
「本当は勉強のためのものじゃなく、とりあえず入試を通すという問題集ですから、これが売れるというのは、私自身としてはちょっと寂しい思いもあるんですね」
 苦笑しながらそう語る中村さんですが、しかし、それによって落ちこぼれの子が、とても無理といわれていた高校に入ることができれば、その子の人生に大きな意味を持ちます。
 こうした矛盾も背負いながら、私的教育の世界で初志をつらぬこうとしている中村さんの夢が、冒頭の「無料塾」なのです。
普賢岳の子供たちにボランティア派遣  会社経営のかたわら中村さんは福岡青年会議所に属し、教育問題調査委員会の副委員長も務めています。
委員会では教育現場にいる教員などと話し合ったりしながら、教育の現状や問題点を調査していますが、中村さんはいまの教育をどう見ているのでしょうか。
 「お金があれば教育が受けられるというのが、一番の大きな歪みだと思いますね。塾でも家庭教師でも、ある程度以上の収入がある家でないと現実的に無理です。金持ちの親御さんの中には、金はいくらでも払うから、毎日家庭教師をよこしてくれという極端な人もいます。もし、実際に大学受験まで毎日家庭教師をつければ、どんなできの悪い子でも通りますよ。
派遣の仕事をしながら、こんなことを言うのはおかしいかもしれませんが、お金で教育が受けられるというのは、要するに本人の力じゃないんですよ。第三者の力で高校や大学に入っているわけです。それで、そういう人が医者や弁護士になったりする。考えられないような医療ミスがよく起きていますが、原因の一端はそういうところにあると思いますね。一方、お金の無い家の子は、ろくに教育が受けられません。私たちのころは、中学校でも宿題が出ていましたね。
それで、宿題をやるのを忘れると、先生に怒られたり立たされたりするので、自然に予習復習をやってましたよね。 ところが、いまは中学校で宿題なんか出したら大変なんですよ。父兄の方から『塾の宿題が多いから、学校では出さないでくれ』と文句を言われる。
現実的に塾の方が受験に直結してますから、父兄はそっちを優先する。それに昔は、勉強のできない子を放課後残して先生が教えたり、ごく普通にやってましたが、いまはそれが差別ということになってできない。すると、塾も家庭教師も無理という貧しい家庭の子は、学校の宿題もないし、ますます放っておかれるわけです」
 そんな教育の歪んだ状況に対し、中村さんが構想しているのが、貧しい家庭の子たちのための寺子屋のような無料塾なのです。こう言っても、中村さんはただ夢見ているわけではありません。 長崎県島原市の普賢岳噴火はどなたもご記憶でしょうが、あのとき、中村さんは現地の子供たちのため多くの家庭教師をボランティアで送り込んだのです。
きっかけは、現地の様子を伝える新聞記事でした。

噴火のため家も学校もなくなり、高校受験を控えた子供の母親が「子供の教育が心配」と話していました。それを読んだ中村さんは「手助けしよう」と教師の派遣を思い立ったのです。
 ちょうど夏休み前でしたが、百六十人余りの家庭教師たちを連れ、中村さんは島原へ行きました。
夏休みのあいだ、彼らは公民館や寺で子供たちを指導、もちろん無料ですが、家庭教師たちの交通費や宿泊費、食費はすべて中村さんの負担です。
三百万円を超える出費でしたが、子供たちはみんな熱心に勉強し、噴火に打ちひしがれていた親たちも喜んでくれました。
そんなに喜んでもらえるなら続けようと、冬休みには現地にファックスを六台設置し、それを使って指導。
また、翌年の夏休みにも家庭教師たちを派遣しました。  それが地元の新聞で報道され、町の人たちも、ガソリンスタンドでは中村さんの会社の車を無料で洗ってくれたり、食堂では教師たちの弁当をおまけしてくれたりと、感謝の気持ちを表してくれました。
苦労も報われる思いでしたが、しかし、いいことばかりではなかったのです。
役所の人間はまったく非協力的で「やるなら勝手にやれ」、また「売名行為だ」と陰口も叩かれ、おまけに選挙にまで利用されたのです。
「神戸の大地震のときも、本当は行きたかったんです。私の性格上、放っておけない気持ちでしたが、普賢岳の経験がありますから踏み切れなかったんです。つまり、ボランティアというのは、実際お金もかかるし、いろんなしがらみが生じてくるんですよ。ただ、普賢岳の子供たちからは、心のこもったお礼の手紙なんかをたくさんもらいました。うれしいですよね、それは何より力になります」  こういう経験を踏まえたうえでの無料塾構想、ただ夢見るのでなく、地に足ついたボランティアなのです。
「貧しい家庭の子供たちのため、まったくお金の要らない塾を作るというのは、確かに大変です。でも、不可能じゃないと思います。たとえば先生は、定年退職された教師の方たちにお願いする。退職したあとも教えたいと思っている先生方は大勢います。場所としては、役所なんかの空いている施設を借りる。それでも、いろんな運営資金は必要になってきますが、それは志ある企業にお願いして余剰金を少しずつ出してもらう。そうすれば、絶対にできますよ」
 こんな構想をいだいている中村さんが、松永さんの呼びかけに応じて、教育を柱にしたNPO「あの人この街育てる会」に参加したのも当然のことでしょう。
「子どもから老人までを対象とした教育をやろうというNPOは、ほかのどこにも無いと思いますよ。その教育を柱に福祉、医療も含めて人づくり、街づくりをやっていこうという考えはすばらしいですね。また、それが実現できるエキスパートの方たちがそろっています。この会での活動を通じて無料塾が実現すれば、こんなにうれしいことはないですね。
まず地元福岡にひとつ無料塾をつくれば、絶対にほかにも広がっていくと思います。そうなれば、いまの教育に少しでも風穴をあけることになると信じています」
 熱をおびた口調で語る中村さん、それは会社社長の顔とは違っていました。
苦学していた学生時代、落ちこぼれの子供に向き合っていたころのそれを想像させる表情でした。

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